Vコーンは至高だった。しかしユニボールワンは「漆黒」だった。

以前に書いたブログで、パイロット社のVコーンが至高であると書いた。
実際に、数本を空になるまで使ってきた。

しかし、手帳とメモ帳の刷新に伴い、ペンに対して評価を改める必要がでてきた。

巨大資本に対する反骨心

以前、私はVコーンこそが至高だと書いた。その評価に嘘はない。
しかし、今にして思えば、あの熱狂の裏には『三菱には屈しない』という反骨心があった。

合理的な理由など一つもない。
かつて、とある傲慢な男に、私の愛用するレザー製品を『汚い』と笑われた。
「手垢と手脂で経年変化するんでしょ?汚いから近づけないでくれ」だそうだ。

日本を牛耳る巨大資本の象徴たる組織に属していたその男への反発心が、私から三菱のペンを遠ざけていたのだ。

端的に言おう。
私はその男が嫌いだった。
だから、三菱が嫌いになっていた。

「ついでに」購入したユニボールワン0.5

手帳よりも先に、メモ帳の入れ替えをしていた。
小さなメモ帳B7の変形型での紙面が小さく感じるようになり、デザインフィル社のMDノートの新書サイズの方眼罫に変更した。

なぜ文庫本サイズではなく新書サイズかといえば、バイブルサイズのリフィルの縦が170mmで、MDノートの新書サイズが175mmとかなりの近似値であったこと。
バイブルサイズかナローサイズのバインダーで悩んでいたからだ。

同時に、Vコーンの記事にユニボールワンのことを追加しようと思い、ついでにユニボールワンの0.5mmの黒色を購入した。

ユニボールワンの0.5黒色の再評価

MDノートに一筆書いた瞬間に思った。

「記憶よりずっと黒いぞ」と。

ぜんぜん掠れることもなく、黒い。非常に黒い。
黒というより漆黒である。
これはいい。クリーム色ぎみのMDノートの紙面でもしっかりと黒が際立つ。

改めてユニボールワンを使うことで、好感触の高評価になったことについて考えたい。

高評価になった再評価の理由を考える

1:漆黒がもたらす「思考の明瞭化」

Vコーンの魅力は、万年筆のようなインクの濃淡にあった。
しかし、それは裏を返せば「色の揺らぎ」でもある。

一方でユニボール ワンの黒は、どこまでも均一で、逃げ場のない「漆黒」だ。
MDノートのクリーム色の紙面の上で、自分の思考が一点の曇りもない黒で固定されていく。
このコントラストが、驚くほど頭の中を整理してくれることに気づいた。

0.5mmという太さが、その「黒さ」の暴力的とも言える説得力を最大限に引き出している。

2:0.38mmへの「信頼」の波及

Vコーンに感じ始めていた「小さな違和感」がある。
あんなに愛していたVコーンだが、道具としての「粗」が見え始めていたのも事実だ。

まずは、そのグリップ。
プラスチックの軸は、長時間筆記していると指先が滑る。

そして、キャップ。
「さぁ、書くぞ」という意気込みでキャップを外し、紙にインクを乗せていく瞬間は変わらず楽しい時間を演出してくれる。
ただ、メモをするたび、着脱のたびに思考が寸断されるわずらわしさ。
一度ノック式の軽快さを知ってしまうと無視できないストレスになっていた。

過去の亡霊との決別

結局のところ、私は件の傲慢な男への個人的な嫌悪感を、文房具という無実の道具に投影していたに過ぎなかった。
あの傲慢な男が何を言おうと、三菱鉛筆が作り上げたこの「黒」の技術に罪はない。

むしろ、道具を正当に評価できなくなっていた自分こそが、一番「汚い」偏見にまみれていたのではないか。

手元のユニボール ワンを見つめながら、私はそう自嘲した。

今、私の手帳には漆黒の文字が並んでいる。
かつての反骨心は、圧倒的な実用性の前に、心地よく瓦解したのだ。

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