
いたちめです。
そろそろ年末も近づいて来たので、手帳を買い替える時期でもあります。
今回は、僕の手帳遍歴について語っていきます。
まず、前提になりますが。
僕は幼少の頃から、字が汚く、筆まめでもありませんでした。
加えて、神経質で完璧主義なのに、雑。
忘れっぽくて飽きっぽいという役満(麻雀を知らないので誤用かも…)なわけです。
例えば日記を買って、
「よし今夜からしっかり書くぞ!」
と意気込んでみても忘れて書かない。
「よし来年の元旦から日記を書くぞ!」と以下略。
そのくせに書き始めるど
裏うつりとか、字の歪み、行数、字数などなど。
実にどうでもいいことに神経質になりすぎるというね。
で、それがどれか一つでも崩れた途端に
どうでもよくなるという素晴らしい性格なわけです。
では、僕の手帳変遷の黒歴史を紐解いていきます。
中学生から高校生
父から処分の行き先として渡された、
使い古されたヨレヨレの汚いステム手帳を持っていました。
しかし、一切、使った記憶がありません。
大学生の頃
友人がスケジュール帳にぎっしりと予定を詰め込んでいるのを見かけたとき、
なんとなくそれが格好いいと思ってしまい、
スケジュール帳を、大した用事もないのに買うという愚行。
勿論というべきか至極当然というべき。無駄遣い。
社会人になってから
リフィルをカスタマイズして、枠に囚われず好きに使い倒すぞ!
とピッグスキンで赤色のバイブルサイズのシステム手帳を買いました。
このシステム手帳は、非常に手触りがよかったことを覚えています。
今や手帳を使った自己啓発の先駆けといえる
フランクリン・プランナー
熊谷式夢手帳。
一覧性の長、超整理手帳。
今もなお爆発的な人気を博している、糸井氏のほぼ日手帳。
既存の手帳の使い方ではない、
画期的な手帳活用術的なものが、世に出回り出したころです。
行動が共わなかったため、
今でいう所謂「意識高い系」だった僕。
僕の手帳は、ナポレオン・ヒルの成功哲学を書きとめたリフィルを
「集めて満足」な状態で膨らんでいました。
例えば。
夜の屋外で鞄を開き、手帳を取出し、手帳を開いて時刻表を見る。
よりも、ポッケに入れたケータイの画面メモを見た方が早く済む
何より画面が明るくて見易い。
雨のときとか便利すぎる。
つまり。
その手帳は財産ではなく、開かれることのないただの負債
荷物に成り下がった物体でしかありません。
スマートフォンの登場でいよいよ手帳は使わなくなりました。
スマートフォンで一元管理するという状態が続き
ピッグスキンのシステム手帳は遂に本棚行きとなったのです。
その後、一度だけスケジュール帳を買いましたが
やはりほとんど使わずゴミ箱行きです。
最終的に落ち着いたのは、レギュラーサイズのトラベラーズノートです。