熊野大社(島根)でのスピリチュアル体験|実際に感じた不思議な出来事

熊野大社(島根)を訪れたのは、特別な理由があったわけではない。
ただ一度行ってみたいと思い、実際に足を運んだ。

スピリチュアルという言葉に対しては、信じる人もいれば、距離を置く人もいると思う。

自分自身も、どちらかといえば後者に近い。

それでも。
境内に入ったとき、これまで感じたことのな「違和感」のようなものがあった。
うまく言葉にできるものではないが、確かに何かを感じた。

この記事では、そのときの体験をできるだけそのまま記録している。

銀色ではないが龍、龍雲とよばれる龍に見える雲にであう。

島根県松江市の龍雲

パレイドリア現象。

例えば、月の模様が「うさぎの餅つき」のように見える現象。
ロールシャッハテストの染みに何らかの意味を見出すように、宍道湖を望み広がる夏空の雲に、龍を見出す。

それでもいい。

佐太神社から、熊野大社に向かう道中に、龍を見出した。

まるで物語のように、龍は「熊野大社へ向かえ」と言っているようだった。

熊野大社の駐車場から随神門(ずいしんもん)まで

島根県熊野大社一の鳥居

県道53号線を松江方面から西に向かう。
一の鳥居を少し過ぎたあたりに駐車場があるので、そこへ駐車。

島根県熊野大社二の鳥居

二の鳥居があり、すぐ川(意宇川)を渡る橋がある。

島根県熊野神社の川

時期は夏だったが、この意宇川が非常に清涼感のある音があり心地よかった。

島根県熊野大社案内板

橋を渡ると手水舎と案内板がある。

伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなこ かぶろぎくまのおおかみ くしみけぬのみこと)

別名、素戔男尊(すさのおのみこと)が祀られていることが書かれている。

随神門(ずいしんもん)を通る

島根県熊野大社随神門

前日に立ち寄った、出雲大社と負けず劣らずの大注連縄(しめなわ)が出迎えてくれる。

奥には、熊野大社の社殿が見えている。

熊野大社に入った瞬間に感じたこと

島根県熊野大社舞殿

舞殿(ぶでん)を通りすぎ、熊野大社にお参りする前に涼みたいと思った。
木陰に入り、少しだけ涼み、お茶を飲む。

夏の晴天。時刻は11時30分頃。
暑さから、通りだと思う。

けたたましい蝉の声。

毛穴という毛穴から汗が吹き出し、喉が渇いていく。

もう少しで木陰、というところで空気感が変わった。

聴力検査用のボックスの中に入ったように、急に蝉の声が遠くなり
汗でべとべとだった体が急に寒気を覚えて、鳥肌が立った。

正直に言えば、歯の根があわず、ガチガチ鳴る音を聞いていた。

寒いわけではない。なぜなら季節は夏だ。
水分不足で朦朧としていたわけでもない。車を降りるときにお茶を飲んでいる。

ただ、真冬の凛としたような、音が吸い込まれて沈んでいくような空気感。

一言でいえば「怖い」

幽霊や霊的なものを一切信用していないのに「怖い」と感じる空気になった。

「涼むより先に、お参りしなければならない」と直感が告げていた。

御本殿:素戔嗚尊(すさのおのみこと)へお参り

島根県熊野大社御本殿

スピリチュアル系では当たり前になっているお参りの作法としての「住所、名前、お参りできたお礼、完了形での決意表明」を行った。

また、熊野大社へ参拝できたことを感謝した。

伊邪那美神社の伊邪那美神(いざなみ)へお参り

島根県熊野大社伊邪那美神

御本殿の西側、伊邪那美神社の伊邪那美神(いざなみ)にも感謝を告げる。

稲田神社の櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)へお参り

島根県熊野大社櫛稲田姫命

御本殿の東側、稲田神社の櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)にも感謝を告げる。
また、女神転生3ノクターンマニアクスの初期パーティで尽力いただいたことも感謝した。

鎮火殿(ちんかでん)から、随神門へ向かう

鎮火殿を通りすぎるまで、冒頭の状態。

蝉の声がとにかく遠い。
全身寒気がひどくて、奥歯がガチガチとなる。
「何かよくわからないけど、怖い」

という症状が続いた。

しかし、鎮火殿を通りすぎたあたりから、徐々に夏の風景に戻ってきた。

蝉の声がけたたましく響く。
夏らしく全身の毛穴という毛穴から汗が噴きだす。
「何かよくわからないけど、安心感がある」

でも「怖さは芯に残った状態」だった。

なぜスピリチュアルと感じたのか

すべてのお参りを済ませた途端、「怖い」が「安心感」に変わるだろか。
このとき思った。「この神社、熊野大社には高次な存在が確かにいる」
数は少ないが、今まで訪れた神社にはなかった「感覚」があった。

この後にもいくつか神社を訪れたが、この熊野神社で感じた強烈なインパクトはない。

妄想かもしれないし、脳のバグかもしれない。
マトリックスのように人間電池として管理されているだけかもしれない。

それでも、子供が父親や母親に抱っこされて安心して眠れるような感覚は、熊野大社でしか味わっていない。

正直な結論

結局のところ、それが何だったのかは分からない。
ただ、確かに“何かを感じた”という事実だけが残っている。

ただ縁切りと縁結びのご利益はあったと思っている。
そろそろ3年も経つ頃なので、少し書いていく。

当時、働いていたベンチャー企業が…

参拝の翌日。2023年7月31日の月曜日。
働いていたベンチャー企業が泥船だったことが発覚。

当時、頑張っていたのに認めてもらえるところか、邪魔者扱いされて憤慨していたが。

仲の良いメンバーと新規事業立ち上げが…

何人かで新規事業の立ち上げで動き出したが、情勢が変わり、私とかかわると左遷されるという社内になり、疎遠に。
結果、口だけのメンバーとは別れて、実力を買ってくれた現職に転職。

まとめとして

御朱印帳を持って神社巡りをこのころから始めたが、これほど強烈な体験をしたのは熊野大社だけである。
ありがたいことに、この記事を読んでくださる方がいらっしゃる。
そしてここまで読まれているのであれば、とるべき行動は一つしかないのは自明の理。

同じ場所に立ったとき、あなたは何を感じるだろうか。

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