わたしが「わたし」を助けに行こうの感想

この本は、妻が見つけてくれた。
最初に一言で伝えるのであれば、「救い」であるということ。

何が「救い」か。

この書籍を手に取るあなたが、生きづらさを感じていて、何とかしたいとあがいてきたものの何も変わらずやはり生きづらい。

という状況であれば、読む価値はある。

この書籍の読み方として

この書籍の分量は多くない。上下の余白が十分にとられていて、あとがきまで219ページとなっている。
冒頭のイラスト付きの序文を読み、目次に目を通す。
その後、章を飛ばさずにじっくりと、落ち着いて読んで欲しい。

冒頭のイラスト付きの序文は、私にとっては非常にエモーショナルな絵柄と表現であった。


よくあるフロントエンド商品のように、事例もわかった、やる意味もわかった。だけど具体的な方法論がわからない。
という書籍ではなく、筆者曰く「簡易的な7ステップのワーク」の紹介もなされている。

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わたしを護る「ナイトくん」の存在

インナーチャイルドというものがある。ざっくり説明すると潜在意識の擬人化というものだ。
このインナーチャイルドが傷ついた人のことを「アダルトチルドレン」と呼ぶ。

アダルトチルドレンの特徴として、自己価値観が低い、孤独感、罪悪感などが挙げられる。
日本人の約8割がアダルトチルドレンだそうだ。

インナーチャイルドの機能の一つに、「これ以上傷つきたくない」という意識に対する防衛・防御機構としての反応がある。
しかし、インナーチャイルドという名前の通り、平均的に6歳前後の年齢となっていて、インナーチャイルドの反応は、過剰かつ極端であるため顕在意識ではほとほと困り果てるという状況に繋がる。

花が咲き乱れる園庭。
少年が、いつも一緒にいるドレスを着た少女に、「僕が一生守ってあげるからね」と宣言し、少女が「ありがとう」と返事をして、お姫様と騎士に成長していく。
といった物語よろしく、インナーチャイルドは、顕在意識を必死に守ろうとしている。
なるほど、ナイトくんだ。

タイトル「わたしがわたしを助けに行こう」の伏線回収

著者は、国家資格である公認心理師資格を有する橋本翔太氏になるが、YouTubeでも活躍されていらっしゃる。
名前から想像していた印象と、YouTubeのチャンネルで拝見した印象は、筋肉がすべてを解決するといった具合で正反対だった。

この本は非常にドラマチックだ。
イラスト付きの序文で、ボロボロになっている「わたし」を、「わたし」を肯定し励ます騎士が姿を現す。その騎士の素顔は「わたし」であった。

なぜ「わたし」を護るべき存在が「わたし」を苦しめるのか?


その「なぜ」を理解するために、「わたし」は「騎士であるわたし」を理解すること、
「わたし」が「騎士であるわたし」を助けに行くことで、「わたし」が救われる。

この本のタイトルの「わたしがわたしを助けに行こう」は

「わたし」が「騎士であるわたし」を助けに行こうというのが本旨ではないかと思う。


「わたし」を護るために「騎士であるわたし」は、「わたし」が幼い頃から、「わたし」を護るために生まれ、愚直に実直に「わたし」を守り続けてきたからである。

「騎士であるわたし」は孤軍奮闘でボロボロになっても、その忠誠心は誰よりも濃い。

わたしが「わたし」を助けに行くナイトくんの7つのステップ

では、書籍156ページから紹介されるナイトくんの7つのステップ。

①ナイトくんを見つける
②ナイトくんに名前をつける
③質問を通して対話をする
④ナイトくんを労い、もう一人ではないことを伝える
⑤ナイトくんに自分が大人になったことを伝える
⑥これからも、隣にいてもらえるように伝える
⑦またお話ししようね、と伝えて対話を終了する。

本書を読んだ内容から、私自身が感じたことと実践したことを残していく。

1.ナイトくんを見つける

瞑想や座禅で一番大変なのは、頭の中の独り言を止めることである。

アメリカ国立科学財団(National Science Foundation)の調査で、1日に12,000回~60,000回ほど考え事をしており、うち80%はネガティブな内容である。
ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授によると、1日最大で35,000回の決断をしている。
とされている。

著書宝地図でも有名な望月俊孝氏のnoteには、クイーンズ大学ジョーダン・ポペンク博士による思考ワームの出現速度の中央値は分速6.5回とあったことから、仮説として思考の数は6,200回としている。

この膨大な思考の中で、その思考の源泉は本当に「わたし」なのか?


感情が揺らぎ、主に不快になる感情になる思考には「わたし」を護る「騎士であるわたし(ナイトくん)」が存在する。

どんなときに、ナイトくんがいるかを見つけることが必要になる。

2.ナイトくんに名前をつける

名付けという行為は、創造である。
転生したらスライムだった件でも、名付けの意味が存分に描かれている。


少しだけ説明したい。

そのものの個性に着目したもの→特定物
そのものの個性に着目していない→不特定物(種類物)

一般的な取引において個性に着目するもの→不代替物
一般的な取引において個性に着目しないもの→代替物

ナイトくんを見つけ、名付けを行うという行為は、不代替物の特定物である思考に着目し、存在を認める。
ということである。


例にすると、
残業で遅くなり、夜遅く自宅に帰ったときに、自室だけ真っ暗な窓が見えたときに、無性に孤独感と焦燥感と不安に襲われる。といった場合、

「夜遅く自宅に帰ったときに、自室だけ真っ暗な窓が見えたとき」という特定物
感情のうち「無性に孤独感と焦燥感と不安に襲われる」という、不代替物

分野や意味は異なるが、擬人化に関わる潜在的な身体・生体反応を検出することを目的とした研究を早稲田大学理工学術院総合研究所の石井辰典氏が代表研究員として研究している。

3.質問を通して対話をする

擬人化を行い、もう一人の「わたし」であるナイトくんと対話を始めていく。

メタ認知、解離性同一性障害、色々と思うことがあるものの、心の動きに着目しながら行うべきことになる。

4.ナイトくんを労い、もう一人ではないことを伝える

ライトノベルで原作えぞぎんぎつね氏の「ここは俺に任せて先に行けと言ってから10年がたったら伝説になっていた。」で、主人公のラックがたった一人で魔神と戦い続けるシーンが冒頭にある。

まさにこの状態である。

ナイトくんは、「わたし」に認知されず、一人で戦ってきたのだ。
だから、必要だと思う。

引用:僕のヒーローアカデミア/堀越耕平

ナイトくんに、一人じゃないよってことを分かってもらう必要がある。

5.ナイトくんに自分が大人になったことを伝える

葬送のフリーレンの1巻で、魔王を倒したヒンメル一行と別れたフリーレン。暗黒竜の角を回収するためにヒンメルもとへ向かう。

50年ぶりだね。
君は昔の姿のままだ。
…もう一生会えないかと思っていたよ。

引用:葬送のフリーレン/原作:山田鐘人・作画:アベツカサ

「わたし」は、ナイトくんが産まれたときから時間が経ち、大人になった。

書籍の中でも、親戚の子供が大きくなったことを驚く感覚とあるが、まさに甥や姪がその通りである。

6.これからも、隣にいてもらえるように伝える

これも非常に熱い展開である。
少し前の小説家になろうではやっていた「追放系」でなく、これからは一緒に戦う。共闘していく道を選ぶわけである。

ヒカルの碁の藤原佐為(ふじわらのさい)のように去ってしまう、グレンラガンのカミナの兄貴のように命を燃やし尽くすのも感情を揺さぶられるが、

少年漫画的な王道って感じで非常によい。

7.またお話ししようね、と伝えて対話を終了する。

YouTubeで有名なミスタービーストの企画で、何もない部屋で一人で過ごすなどがある。
誰ともしゃべらない、コミュニケーションを取らないというのは非常によろしくない。

神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン朝・皇帝フリードリヒ2世

乳児に対して「目を合わせない」「笑いかけない」「語りかけない」などのスキンシップを止めてお世話をしたが、全員亡くなってしまった。

スイス・心理学者ルネ・スピッツ

フリードリヒ2世と同じ方法で、55人の乳児を育成。
結果として、27人の乳児は2年以内に死亡。17人の乳児は成人前に亡くなってしまう。
残りの11人は成人するも、知的障害や情緒障害がみられたといわれる。

実践:ナイトくんワーク

夜。とあるトリガーで眠れなくなるほどの不安に襲われる。という症状がここ10年ほど続いている。
面白いほど眠れなくなるので、電気を点けて本を読むことが多かった。

本書を読んだあとにも、不安に襲われたことがあった。

1.実践:ナイトくんをみつける

そこで、まず、不安の種がどこからきているかを、瞑想するように頭の中の声を鎮めていく。
この理由は、頭の中の声は「不安を増長させる効果」が抜群であるためだ。

頭の中の声が鎮まってきたころに、不安を感じると生じる身体的な不快感がある部分を探っていった。

2.実践:ナイトくんに名前をつける

名前は、なんでもいい。直感で名付けた。
私が寝ている部屋の窓から見えた夜空の月から、私の場合は「みかづき」と名付けた。

3.実践:質問を通して対話をする

「どしたん、話し聞こか?」
くらいのライトな感じで、実際には声に出さず頭の中でないとナイトくんに声をかける。

ここで注意して欲しいのは、実際にナイトくんからの声は届かない。頭の中でしゃべったり、笑ったりするような幻聴のようなものは期待しないこと。

ナイトくんも「わたし」自身であるため、返事がなくても対話しているつもりで、なんとくなくの雰囲気や感覚で「こんなこと言ってそうだな」という感じでちょうどよい。

4.実践:ナイトくんを労い、もう一人ではないことを伝える

「ありがとう、ずっと。ずいぶんと遅くなったけど、もう一人じゃない。」
くっさい、くっさいセリフでナイトくんを労ってあげよう。


ナイトくんをないがしろにして生きてきたのは「わたし」で、ボロボロの「わたし」以上に、孤独と痛みに耐えてきたナイト」くんはボロボロになっている。


だって、感動の再開なんだ。

ドラマチックでいい。だって、相手は「わたし」なんだから。

5.実践:ナイトくんに自分が大人になったことを伝える

もう、クロミのグッズはいらんのかな?

これである。

甥と姪はもうローティーンになっているが、記憶の中では4歳の子供と乳児だ。
妻と話しをしていると、小学生の頃にリュックサックをプレゼントしたら喜んでいたイメージになる。
実際に対面して話しをしていると、成長したことを非常に感じる。

私自身の子供もほんの数年で、小学生になった。

時間が止まっている。

その時間を進めて、安心させてあげる必要がある。

6.実践:これからも、隣にいてもらえるように伝える

子供はいい。
輝くような未来がまだまだ多い。人生の時計にすると夜すら明けていない。
だから、ナイトくんは不安になる。

「わたし」は「騎士であるわたし」がいなくなっても大丈夫なのか?と。

だから、寄り添ってもらおう。

7.実践:またお話ししようね、と伝えて対話を終了する。

実際に、ナイトくんと会話しているわけでもなんでもないが、瞼の裏に想像するナイトくん。
小さくて、幼くて、頼りない。
だけど、「わたし」のためなら全身全霊をかけて護ろうとしてくれる存在。

意識の中は、どんな状態だろう。

真っ暗なのか?寂しいのか?暗いのだろうか?寒いのだろうか?

「また話そう」とナイトくんの存在を忘れないためにも、小さくて幼いナイトくんのためにも伝えた。

まとめ

冒頭にも書いたが、この本はドラマチックだ。
中村うさぎ著の「ゴクドーくん漫遊記」シリーズに「俺たちは天使じゃねぇ」という外伝がある。

アーサガ王妃、アキンドー等と旅を共にしたオカマのガウスに、雑巾ババア(女神)が子供を授けてくれる。ガウスにジュエルと名付けられ大切に育てられた。
しかし、育つにつれオカマの子供ということでいわれなきいじめに遭い、ガウスと心が離れてしまう。
と物語が進んでいくのだが、心の中で魔物と戦うシーンや、魔法が使える妹に嫉妬して両親から煙たがれてしまう王様との出会いがある。

よく脳は間違える。

生理学的に、淡々と説明される本ではなく、ドラマチックな本である。

自身の心の理解だけではなく、忘れていた「わたし自身を大切にしてあげる」という根源的な優しさを思い出させてくれる良書である。

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