島根県、熊野大社でお参りしたらスピリチュアル体験した話し

こいつはくせえッー!ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーッ!

野球と政治、そして宗教の話しはするな。

これは非常に正しい。

「神に祈るのが聖職者。神の声が聞こえるのは精神異常者」

まだ20代の頃、たった一言、この一言で、仲の良かった友人に絶縁されたことを思い出す。

それでも、この記事のタイトルには「スピリチュアル体験」というキーワードを入れている。

人によっては、気分を害するほどゲロ以下の臭いがプンプンするだろう。

しかし、人によっては、神託と感じ、これを救いと感じるかもしれない。

なので、センター分けしたパーマと髭のお笑い芸人の言葉を借りたい。

「信じるか信じないかはあなた次第です」

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スピリチュアルに対する個人的な「あり」と「なし」

先述した友人に対する一言の通り、認識の外にあるものについて語るのは「胡散臭い」としか思えない。

なぜなら、現実に叩きのめされて、メンタルが弱わっていて、それでも現状をどうにか打破して、少しでもよい人生を歩みたいという切実な願いを持ち、人智を超えた高位な存在に認められ救われたいと願っている人を対象にしているからだ。

なので他人から聞く「スピリチュアル体験」は、「ゲロ以下の臭い」しかしないし信用していない。

出雲大社、佐太神社と田中神社の憂鬱

島根県松江市での天使のはしご(エンジェルラダー)

神社巡りが趣味、御朱印帖集めが趣味のおばさんほど神社に行ったことはない。

だからこそ、もしかすると不思議体験するんじゃね?と思うほどに、神の国「出雲」への期待値は非常に高かった。

道中、台風6号の影響もなく好天に恵まれた。

出雲大社で参拝し、松江市に向かうときには、天泣を体験し、天使のはしごに出会う。

ただの自然現象で、大したことではない。

それでも、出雲大社にお参りできたことに意味を見出そうとしたが、正直に言おう。

何か違う。

銀色ではないが龍、龍雲とよばれる龍に見える雲にであう。

島根県松江市の龍雲

のっけから、クソほど怪しいタイトルになるが・・・

パレイドリア現象。

例えば、月の模様が「うさぎの餅つき」のように見える現象。

ロールシャッハテストの染みに何らかの意味を見出すように、宍道湖を望み広がる夏空の雲に、龍を見出す。

それでもいい。

佐太神社から、熊野大社に向かう道中に、龍を見出した。

まるで物語のように、龍は「熊野大社へ向かえ」と言っているようだった。

熊野大社でお参り

島根県熊野大社一の鳥居

県道53号線を松江方面から西に向かう。

一の鳥居を少し過ぎたあたりに駐車場があるので、そこへ駐車。

鳥居から続く道を歩いていくのも偲ばれるので、舗装路を使って進んでいく。

島根県熊野大社二の鳥居

二の鳥居があり、すぐ川を渡る橋があり

橋を渡ると手水舎と案内板がある。

島根県熊野大社案内板

伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなこ かぶろぎくまのおおかみ くしみけぬのみこと

別名、素戔男尊(すさのおのみこと)が祀られている。

島根県熊野神社随神門

随神門(ずいしんもん)には、出雲大社と同じくかなり大きめのしめ縄。

島根県熊野大社舞殿

舞殿(ぶでん)は神事の際に利用するのかな?

島根県熊野大社御本殿

御本殿の素戔嗚尊(すさのおのみこと)

島根県熊野大社伊邪那美神

御本殿の西側、伊邪那美神社の伊邪那美神(いざなみ)

島根県熊野大社櫛稲田姫命

御本殿の東側、稲田神社の櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)

熊野大社でのスピリチュアル体験

島根県熊野大社龍雲

くどいようだが、基本的に「スピリチュアル系」は信用していないし、胡散臭いとしか思えない。

それは自身が体験したことであったとしてもだ。

ただ、体験したことをそのまま伝える。

境内に入った後。

お参りよりも先に、舞殿(ぶでん)を見て、池の方へ向かった。

なぜなら、晴天。太陽は昇り、時間は昼前。11時30分。

本当に暑かった。

池といっても大きなものでもなく、日陰に入って、お茶を飲み、少しだけ涼むつもりだった。

けたたましいセミの鳴き声。

毛穴という毛穴から汗が吹き出し、喉が渇いていく。

日陰に入る少し前。それは、突然、来た。

聴力検査のときみたいに、急にセミの鳴き声が遠くなり、

暑くて汗でべとべとな体が寒気を覚え、鳥肌が立つ。

呼吸するたび、肺に送りこまれる熱く湿気を帯びた空気の質が、変わった。

例えると、そう。

冬の早朝のような、静かで凛としたような空気。

文字通り、冷たいわけではないし、ミントのような清涼感があるわけではない。

第一印象は、「怖い」

人によっては、「霊的な」とか「高位の」とかのキーワードを使うかもしれないが、根源的な恐怖みたいなものしか感じなかった。

お参りしよう。涼むより先にお参りしよう。

直感的に、そう思った。

池の手前も手前、立っていたところから回れ右。

御本殿へ行き素戔嗚尊(すさのおのみこと)へお参り。

次に伊邪那美神(いざなみ)、最後に櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)のお参り。

スピリチュアル系では当たり前になっているお参りの作法としての「住所、名前、お参りできたお礼、完了形での決意表明」を行った。

実際、一人で行ったのだが、独りぼっちで心もとない気分だった。

お参りを全て済ませ、鎮火殿(ちんかでん)から、随神門から御本殿へつながる道にでたときに、また雰囲気というか空気感が変わった。

じわじわとセミの声が大きくなり、鳥肌がやみ、夏の空気が戻ってきた。

「怖い」という感覚から、一転して「安心感」が心に広がっていく。

脳のバグかも知れない。脱水症状の感覚かも知れない。

ただ、すべてのお参りを済ませた途端、「怖い」が「安心感」に変わるだろか。

このとき思った。「この神社、熊野大社には高次な存在が確かにいる」

数は少ないが、今まで訪れた神社にはなかった「感覚」があった。

この後にもいくつか神社を訪れたが、この熊野神社で感じた強烈なインパクトはない。

妄想かもしれないし、脳のバグかもしれない。

マトリックスのように人間電池として管理されているだけかもしれない。

それでも、子供が父親や母親に抱っこされて安心して眠れるような感覚は、熊野大社でしか味わっていない。

更に帰宅後の話し。

今働いているスタートアップで、無能の烙印を押され人員が補充されることになった。

昇進も閉ざされ、お役御免の閑職になる予定だった。

心が荒み、憎悪増幅炉に小さな「憤怒」の種火が宿った。

ところが、お参りした日の翌日。2023年7月31日の月曜日。

重大な事実を、直接、耳にして理解した。

このスタートアップは完全な泥船だったのだ!

このままでは沈む!泥船は遅かれ早かれ沈む。時間の問題でしかない。

昇進?昇格?そんなもの会社が存続すればこそ!

せめて仲のよいメンバーだけにでも伝え、一刻も早く逃げださなければ!

そして得たものは、仲の良いメンバー。そしてそのメンバーと新規事業の立ち上げ。

採算も取れない絵空事ではなく、しっかり事業計画を作成し、いけると判断。

こうかはばつぐんだ!

熊野大社で受けた、縁切りと縁結びのご利益はばつぐんだ!

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