音楽が嫌いだった。
昭和の公立小学校では、担任の教員が全科目を担当していた。
私が小学校高学年の頃の担任は、前頭葉の機能が脆弱だったようで、よく児童を怒鳴り、よく殴り、よく蹴っていた。令和の時代では事案となるレベルで、である。
その担任の教員は鍵盤が弾けず、小学校5年生6年生の2年間で音楽の授業は一切なかった。
中学になると、すこし色気ついた。
しかし、太っていて、猫背で、帰宅部で、髪の毛も寝癖のままな私は今でいう陰キャであった。
そんな私に中学校の音楽の授業では「合唱」で歌えと強要してくる。
非常に苦痛だった。
とにかく、音楽が嫌いだった。中学校の音楽の男性教員の話し方や髪型、人をバカにした口調が嫌いなこともあって、口パクでやり過ごした。
クラシックギターを弾く機会もあったが、興味がなくチューニングのテストも適当にやり過ごしてきた。
通知表は「2」しか付いたことがない。
しかし、転機が訪れる。
X(X JAPAN)のHIDEが髪型を変えたという、実にどうでもいいようなゴシップ記事を何かの雑誌で見かけたことだ。
私は、HIDEに救われた。
目次
ギターキッズ爆誕の日
中学生になり、CDを買う機会が訪れた。
回りの学友に合わせて「B'z」のZEROを買ったが、それ以降音楽関係で会う知人や友人にはXの「紅」を買ったと言いまわっていた。
なお、B’zで好きな曲は、「Pleasure’91〜人生の快楽〜」と「LOVE PHANTOM」の2つだけである。
Xを聞き始め、ギターが欲しくなった。
なぜなら、格好よかったからだ。
ミュージックステーションか何かの音楽番組で、白と黒の市松模様のステージで「紅」を演奏していたのが非常に格好良かったからだ。
そして、高校に入学した私は、「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくる音石明とおなじトレモノアーム付きHSH配列のギターを手に入れた。
色は当時大好きだった青色だった。
一人ぼっちのギタリスト
高校に入ると、「ジョジョの奇妙な冒険」の第一部の主人公ジョナサン・ジョースターが選んだように、ラグビー部に入部した。
ここにはどうでもいい話だが、重要な要素がある。
高校の入学式の日。私は新しい靴を買ってもらえなかった。
新品のピカピカした靴を履いた新入学生の中で一人、中学生の頃から履いていた、弟からの「おさがりではなく、おあがり」の靴を履いていた。
みじめで、悲しくて、なんて嫌な気持ちなのだろうと思っていた帰り道に、すごくまじめな顔をした在校生に「君、めちゃくちゃ体格いいね。ラグビーやってみないか?」と声をかけられた。
太っていて、猫背で、さすがに髪の毛は梳かすようにはなったが、陰キャな私に真剣な顔で誘ってくれたのだ。
自己肯定感が下がりまくっているときに、特別感を与えると人心はコロっと動かせるというのを、私は16歳で身に染みた。
ただ、その先輩は3年生で、私が入学した年の10月で引退した。しかし、「入部してくれてよかった」と私のことを覚えてくれていた。そして引退するまでずっと私の事を気にかけてくれた人格者であると思っている。
自分BOXと同じ体験
高校の文化祭では一度だけ、参加した。
HIDEがhideになり、hideに傾倒して私にとって、「THE BLUE HEARTS」や「すかんち」は、どうでもよかった。
すかんちの「恋の1,000,000$マン」という曲の途中。
私のギターソロが終わり、エフェクターを踏んだ。
途端にアンプから唸り響く轟音。ディストーションとフランジャーで作られるジェットサウンド。
音楽でもない、ノイズミュージックである。
爽快だった。
練習して練習して、下手クソだとバカにされて、それでも練習したのにバカにされてきた。
楽譜が読めないから、TAB譜を読んでも音の長さがわからず何度もCDを聴いて音の長さをはかってきた。
メンバーで日時を決めてスタジオを借りたのに、ドタキャンされて一人でスタジオ代を払ったこともある。
そんななぜか見下してきていた他のメンバーの奴らは、ポカンとした顔をしていた。
体育館に集まった学生たちは皆、一様にポカンとした顔していたり、両手で耳を塞いだり。
大学になって読んだ書籍。大槻ケンジの「新興宗教オモイデ教」に出てくるバンド自分BOXのギタリスト中間が、ボーカルのゾンの叫びに合わせて、ガラス板で奏でるノイズギターの音を「毒の鱗粉」と感じていたように。
私は、ポップで軽快な音の中に潜む「見下し」や「侮蔑」をジェットサウンドで塗り替えた。
翌年、私はバンドに誘われることもなかった。
一緒に練習する人もいないので、バンドスコアを見ながら、コツコツ弾くばかり。
当時、ずっと購読していた「バンドやろうぜ!」だったり「Rockin'on」といった音楽雑誌だけが友人だった。
そして、高校を卒業した。
大学生のバンド
大学のサークルで1年時と4年時にバンド活動をしていた。
1年時のバンドは、ボーカルがTHE YELLOW MONKEYが好き。リードギターは70年代のロックが好き。ベースはロックが好き。ドラムはヴィジュアル系が好き。という音楽性も方向性もバラバラなメンバーだった。
リードギターが大学を辞めたとき、そのまま解散になった。
この頃から作曲、メロディー付けを始めている。
大学4年時のバンド活動は、新入生歓迎コンパで「新入生?何やんの?」と言われたことから始まる。
そりゃそうだ。入部したが活動に一切参加していない私の顔なんか覚えているハズもない。
ギターを弾いたことがない。ベースを弾いたことがない。というメンバー2人と、やたらと機嫌の悪いボーカル。いつも笑っていて話しがわかるドラムのメンバー編成になったが、全くの初心者の2人が抜けたあと、ボーカルの態度がどうしても我慢できずに解散した。
とにかく、寿命が短いバンド活動だった。
B.C.Richのモッキンバードのギター
2008年8月31日。
島村楽器でB.C.Richのモッキンバードのギターを手に入れた。
実家を出たときに、思い出の多いギターは置いてきた。
そのため、数年はギターの無い生活をしていたが、どうしても欲しくなり島村楽器を見ていたときにモッキンバードを見つけたため、そのまま購入した。
モッキンバードの痛ギター化
らき☆すたの「こなた」が好きで、面の大きなモッキンバードにステッカーを自作し貼り付けていた。
最初は紙に印刷し、セロテープで仮止め。
そのあとエーワンのステッカー用用紙に印刷し、ギターに貼り付けるだけの簡単なものだ。
初音ミクに出会う
2009年。DTMで本格的に初音ミクで楽曲を作ることになる。
当時、supercellの「メルト」「恋は戦争」が本当に好きで、いつか私もこのような曲を作りたいと思いながら活動していた。
ただ、同時にメタル全盛期でもあった。
ヤングアニマルで連載されていた「デトロイト・メタル・シティ」が好きだったが、読むと心が痛くなる。
マンガの方は処分してしまったがDVDの方はまだ残っている。
「メタルは心の狭い奴しか作れない」とあるが、事実だと思う。
ニコニコ動画にアップした楽曲は、自身でも厨二病と思えるくらいであったし、それ系のタグやコメントがついていた。
ギターから「こなた」を外し、「恋は戦争」でメガホンを構える初音ミクに貼り替えた。
この初音ミクは、今現在も継続して貼られている。
社会人でのその他音楽事情
私は「Aphex Twin」「Squarepusher」「Reich」といったテクノ系を聴き始めていたが、ほぼなくメロンブックスにある同人系音楽を聴くようになる。
最近の曲だと「粛清ロリ神レクイエム」で有名な「イオシス」である。
「逝ってよし2005」の藤崎かりん(現miko)の声でハマったといっても過言ではない。
イオシス好きがきっかけでモンハンの狩友になった友人もいたくらいだ。
2009年頃は特にニコニコ動画全盛期で、東方とイオシスでお腹いっぱいになるまで聴いていた。
東方は特に「Bad Apple!!」や「ナイト・オブ・ナイツ」が有名どころだろう。
「Bad Apple!!」の影絵バージョンの盛り上がりは、踊ってみた動画にも波及したほどだ。一方「ナイト・オブ・ナイツ」は、弾いてみた動画に波及している。
私個人的には「ナイト・オブ・ナイツ」の元曲である「フラワリング・ナイト」の方でオサレリミックスされた方が好きである。
音楽と離れ、余談になるが、東方キャラで好きなのは、もこう(藤原妹紅)、おぜう(レミリアお嬢様)、咲夜(十六夜咲夜)、⑨(チルノ)である。
2025年の今
ギターはウォークインクローゼットの奥で眠っている。
ギターのピックはなく、アンプは脚立の代わりになっていて、コードやチューナーは乱雑にケースに収納されたまま。
音楽もアンビエントのインスト系ばかりを聞いている。