いたちめです。
会社の同僚と世間話をしていると
僕のデスクトップの画像の話になり
「一番かっこういいのは、
恋は戦争のレイヤーさんなんだけど
画像がみつからなくて」
みたいな話しになったときに
子供が初音ミクが好きなんですよといった
意外な返答。
懐かしさもあったので
久しぶりに自分が投稿した作品を見ると
ブログのネタになる!
僕とニコニコ動画との出会い
僕が人生初のメイド喫茶に行った頃。
ひっそりとメイド喫茶の片隅で、周りの話しを聞いていると
ニコニコ動画なるものがあるということを
そのときに知りました。
たしか、5月くらいだったと思います。
耳にしたものの
そもそも僕には、友人もいなかったので、
誰に聞くわけでもなく
ニコニコ動画は有料なんだろうなと
登録することもしませでした。
その当時はCDばかり聞いて、ネットはほとんどしていませんでした。
僕と初音ミクとの出会い
初音ミクの存在を知ったのは
友人とコスプレを少し経った頃で
2008年8月のコスプレイベント。
ワールドイズマインのKAITOとミクのレイヤーさん。
しかし、知らなかった当時は
なんかのカップルのキャラなんやろか?
という認識でしかありませんでした。
その頃の僕のメインのコスプレは
黒執事のウィリアム・T・スピアーズ
ときどき、
セバスチャン・ミカエリス
と
荒川アンダーザブリッジのシスター
全く、共通点もありませんでした。
昇華されずにいた音楽活動への渇望
丁度バンド活動もとん挫してしまい
それでも音楽に触れていたかったこともあり
https://itachime.com/%E7%97%9B%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%A8%E5%85%B1%E3%81%AB%E8%AA%9E%E3%82%8B%E5%83%95%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%80%82%E3%81%BB%E3%81%BC%E9%BB%92%E6%AD%B4%E5%8F%B2/
DTMだったら、
自己中で口ばっかりのダメ人間とバンド組まなくてもいいし
めんどくせぇメンバー集めも
しなくていい。
音楽の趣味でもめることも
週一日しかない休みなのに
夜中4時に起きて
早朝5時からカラオケボックスで何も決まらないバンド会議とか
しなくて済む。
思うがままですやん!
そう思うと
自分が作った曲を歌って欲しい。
神経毒みたいな「耳に刺さる音」を
甘っちょろいJPOPにはない「クソを煮詰めた曲」にして
毒蛾のりんぷんみたいな「歌の毒」をのせて
作り上げた「本物のノイズ」を巻き散らかしてやる!
聞いた人間の人生を狂わせる楽曲を!
そう思い立ってから、早かった。
当時使っていたデスクトップだと
動かないソフトウェアだったので
パソコンも新調。
遂に2009年、DTMを始め
ニコニコ動画にも登録しました。
初音ミクのプロデューサーとして
作った曲をニコニコ動画に、投稿し始めました。
みみれいPという名の評価されることがなかったプロデューサー
活動期間は2009年10月から2013年2月の約3年。
投稿した曲数は58。
曲ごとの細かいインプレや、
覚えている限りの当時の想いは別途書いていきます。
http://www.nicovideo.jp/mylist/15684545
音源と歌詞は「ピアプロ」に細かく載せています。
Dir en grayの「羅刹国(旧バージョン)」のカバーで
「みみれいP」を拝命。
意味はググるとわかると思うよ?
見直しても酷い(笑)
2010年から2011年前半までは大体、月に1~3曲を投稿
色んな意味で、失意のどん底でした。
なんて馬鹿なことをしたんだと、後悔しかない毎日。
気が付けば、一日3時間睡眠が当たり前の
ショートスリーパーになっていて
仕事か、曲作りか、ぼんやり悩んでいるか。
の三択でした。
2011年の後半頃から
転職をした先の職場(今の職場の前です)で
とある人物のせいで、精神状態がクソミソになっていて
曲作るってレベルじゃねーぞ。
と。
失ったものが大きすぎて、二度と戻らないことにイライラして
人生の中で一番すさんでいたころです。
「ヘラヘラ笑ってる顔」で隠していた、「終わらない絶望」
「消えてしまいたい」でも「世界がなくなればいい」という思い
生きているのが辛くて、何のために生きているのか?
それでも消えることができないから、生きていかざるを得ない
そんな地獄。
大槻ケンヂ氏の「レティクル座妄想」のコンセプトみたいな時間。
最後の曲は直前のダイエット期間中の曲で「デブは甘ぇ」(笑)
作りかけの曲もまだ幾つも残っているので、
再開できる余裕が出来れば
新しい曲を作ります。