
この映画の上映当時、ヘビースモーカーだった私は肺の検査入院をしている。
その頃、よく映画を観ていた。
ただ、アニメから離れていたこともあり、本作に触れることなく時間は経ち、この歳になって、自分の好きな映画を観ようと思い始めてから視聴したことになる。
実に18年の歳月が経過している。
2007年に映画の封切りがされた新海誠(しんかい まこと)監督作品になる。
2009年に封切りとなって大ヒットしたサマーウォーズも、私は視聴していない。
そのため。この「秒速5センチメートル」が新海誠監督作品で一番最初に視聴した作品になる。
制作は、コミックス・ウェーブ・フィルム。
そのうえで、感想を述べていきたい。
物語のあらすじ
転校してきた少年、遠野貴樹(とうの たかき)と同じく転校してきた少女、篠原明里(しのはら あかり)は、体が弱かったことで図書館に通うことで仲良くなっていき、やがて両想いとなっていく。
ずっと一緒に居られるかと思ったが、明里が栃木へ引っ越し、文通が続く。そして、高樹が鹿児島へ引っ越しが決まる。
高樹は、引っ越し前に明里へ会いに行こうと思い2週間かけて書いた手紙を持って、栃木に向かう。
しかし、大雪に見舞われて栃木に到着すると23時を回っていた。
二人は一晩中、雪と同じくらいに積もる話しをして高樹は、東京へ帰っていく。
鹿児島での高樹は、よくケータイ(スマホではなく、2つ折りの携帯電話)を開いてはメールを作っていた。
同じ高校の澄田花苗(すみだ かなえ)は、都会から来た高樹の雰囲気に惹かれ、次第に好意となっていく。
スランプ気味だったサーフィンの勘を取り戻した日。その勢いで告白を試みるが高樹の態度から告白ができず、一つの恋が終わった。
大人になった高樹は、会社に忙殺されつつも心に空いた穴のようなものを埋めらずにいた。
会社を辞め、昔歩いた小学校の道を歩いているときに、一人の女性とすれ違う。
踏みきりがしまり、振り返ると電車で女性の姿は見えなくなり、電車が過ぎ去ったあとには女性が見えなくなっていた。
物語りの感想
淡い恋心
現在ではありえないかも知れないが、私と同じ程度の昭和世代の小学校では、特に高学年になると、仲のよい男女はよく冷やかしの対象となった。
運動神経バツグンでモテる男子が羨ましく、可愛いクラスメイトと一緒に下校したいという淡い気持ちもあった。
しかし、私はどちらかといえば太っていて、運動神経も悪く、頭も悪かったためそのような聯愛対象として見られることはなかった。
桜花抄(おうかしょう)の始まり方は世代によって、捉え方が変わるだろう。
今の若い世代だったら、「相合傘ってなに?」「好きなら別にいいじゃん」などと思うかも知れないが、昭和世代は突き刺さるものがある。
そしてタカキがアカリに会いに栃木まで向かうシーン。
今でこそスマホが普及しているが、その前の前。
携帯電話の普及前であるPHSの普及が始まったのが私が大学生の頃。そこからほんの数年前になるとポケベルである。
ポケベルも、文字が表示されるものとその一つ前の数字だけが表示されるものとなるが…
基本的に現代と異なり、連絡が取れないのが普通であった時代。
列車が遅れて、約束の時間に間に合わない。
この焦りと祈りに似た気持ちを体験したければ、スマホを家に置いて旅にでることだ。
そして、行先で人と待ち合わせをしておくとよい。
じりじりとした時間を味わうことができる。
人を傷つける優しさ
「男女の友情は成立するのか?」という命題がある。
私個人としての回答は「ない」である。
男同士、女同士の友情ですら、あやふやな繋がりであるのに、
性別が異なる場合「どちらか一方が恋心を抱いている」「どちらか一方が性的対象として見ている」という条件下で、その欲を発露しない限りは継続される「平等ではない関係性」であるからだ。
同性同士の場合で同性愛者でなければ、性的なものが関与せず、「平等に近しい関係性」が構築できる。
タカキは、アカリの事が継続して好きであることから、その他の女性に対して一律な対応ができる。
平たくいえば、恋愛に発展させたいという気持ちがないから、好意を寄せるカナエに対しても優しくできるのだ。
カナエの「お願いだから、もう私に優しくしないで」の独白からがそれをよく物語っている。
「私が遠野君に望むことはきっと叶わない。それでもそれでも私は遠野君のことをきっと今日も明日もその先も、やっぱりどうしようもなく好きなんだと思う」という独白から、このままタカキの事を引きずってしまうのだろう。という気持ちでいたたまれなくなる。
カナエのことは描かれていないが、よい恋に恵まれて欲しいと願う。
忘れられない強烈な想い
人は、忘れる生き物だ。
ただ、忘れるためには時間がいる。
積み重ねた時間と同等かそれ以上の時間である。
心にぽっかり空いた穴は、後悔で時間と共に大きくなる。
そして、その心の穴を埋めようとするけど、名前を付けて保存された思い出が強すぎて穴を埋められない。
埋められないから、他の好意を寄せる人を傷つける。
それが「1,000回にわたるメールのやり取りをしたとしても、心は1センチほどしか近づけなかった」と言われるのだ。
タカキは、アカリが栃木に引っ越するとわかった時点で、「もういいよ」と突き放した言葉を放った時点でアカリとは疎遠になる運命だったと言える。
もし、タカキの「もういいよ」というセリフが「また会おう」であれば、「好きだよ」であったら結末は違っただろう。
切ない初恋が破れる。そんな話だ。
引っ張られる人はいる
学生時代に叶わない恋をした人よりも、片思いを秘めたまま歳を重ねた人には刺さる映画だと思う。
逆に、充実した思い出しか残っていない人には刺さらない。
青臭くて、青春な映画である。